ある昼下がり(1)

「ん…」
午睡から目覚め、桂花はゆっくりと体を起こした。
室内に入り込む光の加減から、眠ってからそう長い時間がたっていないことがわかる。
孟徳をかばって受けた怪我はすでに日常生活に支障がないくらいに回復していて、午睡の時間も日々短くなってきていた。
「お目覚めですか?」
寝台から降りると、心持ち遠慮がちの声が部屋の外から聞こえてきた。
「はい、どうぞ」
返事をすると、桂花より少し年上の女性が入ってきた。名前を秋芳といい、以前は影守として、そして今は侍女として桂花に仕えている。

療養中の桂花の身の回りのことを細々と整え、ここしばらくは、足を慣らすために庭の散策を欠かさない桂花の身支度を、頃合いを見計らって手伝ってくれていた。
何年も使用人のいる生活をしていなかったので最初は戸惑いもあったが、秋芳の行き届いた心配りはそれらを忘れさせてくれた。今もまた、桂花がしたいと思っていたことを察したように、彼女は湯気の立つ桶を寝台脇の卓に置いた。
「汗をおかきではありませんか? よろしければお召し替えの前にお体をお拭きいたします」
実のところ、暖かく陽が差していることもあり、肌がうっすらと汗ばんでいた。
「…お願いします」
寝台に浅く斜めに腰掛け秋芳に背を向けた。
夜着の紐を解いて衣を肩から滑らせと、固く絞られた布が首筋からあらわになった背を撫でていく。
つい気になって落とした視線の先――腰に纏わりついた衣から、変色した肌が覗いていた。思わず傷痕を衣で覆い隠す。
何度見ても慣れない、と思った。
小刀で突かれた箇所は赤く盛り上がり、刃に毒が塗られていたために傷口の周囲まで肌の色が変わっている。
「――あまりお気になさいますな。いずれは目立たなくなります」
「自分でもそうしようとは思っているのだけど…」
気づかう秋芳の言葉に力なく微笑む。
傷痕はやがて平坦になり退色していく。ただ、それには数年かかる場合もあると言われていた。行動に悔いはないが、それでも傷痕を見れば心穏やかではいられない。
「この時間に起きてるなんて珍しいね」
沈みかけた思考を突然響いた声が引き戻した。
秋芳が手を止め礼を取る。
桂花は背を向けていたのを幸いに、慌てて夜着を引き上げ紐を引き結んだ。
「孟徳殿こそ…、いつもは昼前に来られるのに――」
たいていは午前の執務を終え昼の少し前に様子を見て戻っていく。そして夜にもう一度桂花の部屋を訪れるが、その時は眠っていることがほとんどだった。
「今日は朝議が長引いてさ。それでいろいろ押しちゃったんだよね」
「じゃあお昼もまだ?」
「うん」
「ならこちらに用意を――」
「ああ、別にいいよ」
桂花は秋芳に昼食の支度を頼みかけたが、孟徳がそれを止めた。
「しばらく人払いを」
「承知いたしました」
いつものように言い渡して秋芳を退室させるが、孟徳の手はそれを待つ間もなく桂花に伸びていた。

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