約束(3)

「彼女から離れろ」
「そうはいきません」
さすがに子龍にも緊張の色が見えるが臆してはいない。
当然のことといわんばかりのその返答に、孟徳の目が剣呑に眇められる。
「――引き時じゃないか?彼女は行かないと言ったと思うけど?」
「あなたがそう言わせているのではありませんか?」
「だとしたらどうだというんだ」
睨む子龍を孟徳は鼻で笑った。
本来なら城内深く入り込んだ敵軍の侵入者を逃すなど有りえない。
だから孟徳は桂花に持ちかけたのだ。
君がここにとどまれば、間者は見逃す――と。
「卑怯ではありませんか…!」
「選んだのは彼女だ」
彼女が自分との約束を守れば良し。
…共に脱出を図ったとしても、すぐさま追っ手をかけ、侵入者は殺す。
彼女はどうしようか?…どこかへ閉じ込めてしまおうか。
そんなことさえ考えていた。
どちらにしろ桂花を手放す気など毛頭ない。
さらに言えば、今彼女が他の男のそばにいるという状態もおもしろくない。
だから誘う。いつものように。
「桂ちゃん、こっちへおいで」
不意に孟徳の声音が変わり子龍が一瞬目を見張った。
それは普段から桂花が耳にしている気安い口調で、それだけを聞けば遊びに誘われているようだった。桂花の緊張が少しだけほぐれた。
「俺の方へ来てくれるよね?」
「軍師殿…!」
誘う言葉と、制止する声。
答えなど決まっている。子龍を玄徳の元に帰すこと、それが桂花の望みだ。
子龍を見やり、そして孟徳のほうに視線を移した。
「…孟徳殿、お約束、お守りいただけますね?」
「俺はそのつもりだよ。だからおいで」
手が差し伸べられた。火傷の痕の残る左手――。
この場面で利き腕をあけておくのは武人として当たり前のことで、孟徳に他意はなかったのかもしれない。
だが差し伸べられた左手は桂花にとって意味を持ち、拒むことは難しい。
再度子龍に向き直り、深く頭を下げた。
「子龍殿、ありがとうございました」
――玄徳様にもどうか…。
心からの謝辞を伝える。
子龍の悔しそうな顔を見るのがつらかった。
目を伏せ孟徳の方へ歩き出す。
伸ばされた手に、手を重ねた。
「いい子だね」
一瞬だけ強く握られた気がした。

 

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