対面(2)

孟徳は少女の目が覚めるのを今か今かと待ちわびていた。目覚めたという報告を受け、こうしてその日のうちに召し出したくらいだ。とにかく話をしてみたくて仕方がなかった。
不安と緊張から大きく揺らいでいるが、それでも自分をしっかりと見つめている黒目がちの大きな瞳―――吸い込まれそうだと思った。柄にもなく、鼓動が早くなってくる。
「んー、顔色は悪くないね。気分はどう? だいぶ体が冷えていて熱も出てたから、心配してたんだ」
少女がその瞳を瞬かせた。
「……助けていただいて感謝しています。その…ありがとうございます」
初めて耳にするその声は、想像していたより幼くはなく、柔らかく、でもそこに意志を宿した凛とした音色で心地好い。
それに敵に助けられてなお素直に礼を言える謙虚さも好感が持てる。
「どういたしまして。でも、どうして助けたのか不思議?」
表情を読んで、孟徳が訊いた。
「…はい」
「気になったから、かな。君のことが知りたいって思ったんだよ。とりあえず自己紹介でもしておこうか。――俺は孟徳」
聞いた瞬間、少女の瞳がひときわ大きく見開かれた。
「あなたが、曹孟徳…」
呟かれた自分の名前に、奇妙な感慨を覚えた孟徳だったが、そんなことはおくびにも出さず続けた。
「そうだよ。それでこっちのいかついのが元譲で、そっちの目を開いてるのかいないのかわからないのが文若」
彼女の目が自分の背後にいる二人の男に注がれて、やがてまた自分のもとへ戻ってきた。元譲の方を見たとき、瞳が陰ったのを孟徳は見逃していない。
「孟徳……」
「目は開いております」
「わからないことには変わりないけどな」
ふたりとも紹介の仕方が気に入らなかったらしい。元譲の呻くような声と文若の反論が返ってきたが、孟徳は気にする素振りすら見せない。
むしろ少女の大きな瞳と比べたら、文若のそれは糸みたいだとさえ思っていたくらいだ。
「お前の姿を博望と新野でも見たという報告が上がっている。お前は何者だ。玄徳の部下なのか、それとも妾か何かか」
このままでは先へ進まないと見たか、痺れを切らした文若が少女への質問を始めた。
「こちらの質問には簡潔かつ正直に答えろ。隠し立てしたり、逃亡を図るようなことがあれば、軍規に則って処罰を与える」
「……はい」
少女の気配がまた硬くなったのに気づいて、孟徳は文若をたしなめる。
「文若、女の子に向かってそんな言い方はないだろ。ごめんね、気の利かないやつで」
どうしてそう単刀直入なのか。性格だから仕方が無いが、まったく女の子の扱いがわかってない。
だが少女の、文若の厳しい物言いにも折れることのない精神力には孟徳も感心していた。
ここには彼女を守るものは誰ひとりとしていない。まかり間違えば、貞操どころか命さえ保証されない状況だと、彼女にもわかっているだろう。普通なら泣くどころか、声も出ないくらいの状況かもしれない。
無知で恐れを知らぬわけでもない。現に今も、怯えた感情がその瞳に宿っている。外見上は冷静さを失わないように努めている様が一層いじらしく思えた。
「大丈夫。そんなに緊張しなくても何もしないよ。俺、女の子にはやさしいからさ。ほんとほんと」
少女の気持ちを少しでも和らげてやりたいと願った。
「君には嘘はつかない。約束する」
願うあまりか、それとも彼女にもそうであってほしいと望んでか、ついそんなことを言ってしまっていた。そんな自分に内心苦笑しつつ、孟徳は続ける。
「だから君のことを教えてくれないかな。そうだな、まずはやっぱり名前からだね」
「丞相、捕虜の名前などどうでも――」
ぱしっ。
孟徳の手と文若の頭の間で小気味よい音が鳴った。
「何か言ったか、文若?」
「……丞相、私が頭を叩かれる謂れはないように思うのですが」
文若が眉間にシワを寄せたまま、叩かれた場所を手で押さえている。元譲が溜め息混じりに文若を諭す。
「……文若、悪いことは言わないからここは孟徳の好きにさせておけ」
「………わかりました」
孟徳はそれを一切見てみない振りだ。
ようやく静かになるとばかりに、少女に向かって満面の笑みを浮かべた。
「それじゃあ、改めて。君のことを教えてくれる?」

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