対面(4)

元譲はいかつい外見に反して、猪突猛進の武だけに頼る男ではない。
だからこそ自らの片腕として、気がかりに思うこともなく十万の兵を預け玄徳に当たらせた。
だがもたらされたのは、思いもしなかった潰走の一報。
頭の切れる人間がついたと直感した。
一戦落としたくらい痛手にはならないが、玄徳の元に名だたる剛の者と確たる軍師が揃えば、面倒なことになるかもしれないという思いがあったのは確かだ。
そしてその一方で、大軍を手玉に取ったその知略、引いてはそれを考えた人物に興味を持った。
長坂橋で少女を初めて見たとき、張翼徳とあの場にいたというだけで、普通の娘じゃないことはわかった。
博望と新野でも姿を見たという報告が上がれば、それはもう確信だった。女の子だったのは想定外だったが、孟徳にとっては楽しみが増えたということ以外の何ものでもない。
その少女が見せる傷付いた瞳。
敵軍をあれほど見事に打ち破ったのだ。普通なら誇りこそすれ、悲しむ要素などあるはずもない。
それなのに少女は、せつなそうな顔をする。玄徳の役に立ちたかったといい、それでいて戦を後悔しているかのような表情を覗かせる。
男と女の差なのだろうか? それとも彼女がやさしすぎるのか――。
ふと好奇心がもたげた。
長坂橋では策を用心して撤退させたが、もし追っていたらどうなっていたのか。
「ひとつ教えてくれるかな。長坂で橋を落とさなかったのは君の策だよね? あのとき、君たちの背後には何があったの?」
とたんにばつの悪そうな表情が少女の面に広がった。
「…………翼徳殿配下の方が二十数騎ほど…」
「それだけ?」
「…それだけ、です」
いたたまれなさそうに下を向いた少女を見て、はじかれたように孟徳は笑い出した。
「してやられたな、元譲」
「孟徳、笑い事じゃない」
「丞相、笑い事ではありません」
元譲と文若が同時に苦々しげに声を上げる。
それはもっともだろう。あそこで玄徳を仕留めていれば、大勢は決したはずだったのだから。現実問題を考えれば、少女を手にいれたことよりも、玄徳を仕留め損なった実害の方が大きい。
「まあそう言うな。玄徳との決着はいずれ着けるさ」
「あ、じゃあ玄徳様は……」
「江夏に逃げ延びたという情報は入ってる。死んではいないみたいだね」
顔を上げてほっとしたような表情を見るのは口惜しいが、今の立場を考えればやむを得ない。
「それにしても思い切ったことをするね。君自身を仕掛けの道具にするなんて」
張翼徳だけであったら、あるいは――という考えもあったかもしれないが、女の子がなんの手立てもなしにあの軍勢を前に立つなど考えられなかった。こちらがそう思うことを読み、橋を渡った先に伏兵がいる、その思い込みを強調することが彼女自身があの場で自らに課した役割だったというわけだ。
「…仕方がありません。あのまま追われていれば、あとがありませんでしたから…」
「好機を逃した、か」
さすがに惜しかったか、という思いが湧き上がったが言ったところで詮方ない。
「戦のさなかで、君は君のなすべきことをしただけだ。堂々としているといいよ」
小さく体をすくませている少女に、そう声をかけた。
立場が違えば必然的に行動は変わる。彼女の行為は賞賛されてしかるべきだ。
「それより疲れてない? 起きれるようになったばかりのところを呼び出してごめんね。部屋へ戻ってゆっくり休むといいよ」
「……私の処分は?」
「今のところは特に考えてないよ。俺は才能のある人間が好きだからね。女の子ならなおさらだよ」
怪訝そうに尋ねる少女に本音で答えると、文若が横槍を入れてきた。
「彼女は我が方に降るとは言ってはおりません」
「今、聞いたところで答えなど知れている」

否か、せいぜい考える時間がほしい、くらいだろう。だったら聞く必要はない。
帰順しない敵方の軍師をいつまでも生かしておいては、軍の統率を図る上で妨げとなる。堅物の文若の言い分はわかるが――。
「この子は川で拾った女の子。それでいいだろ」
「そのような屁理屈を…」
彼女の姿は多くの兵の目に触れている。道理が通らないことくらい承知だ。だがそれなら無理矢理に押し通すまでのこと。
「決めたことだ。黙って従え」
「…諦めろ、文若」
わざとらしい大仰な溜め息が後ろから聞こえたが、無視するに限る。
「せっかくだから我が軍のことも知ってほしい。損にはならないと思うし、俺も個人的に君に興味がある。――さてと、君の方から何か質問はある?」
わずかに躊躇する様子を見せたあと少女は尋ねた。
「あの…公玉様はどうされて…?」
「ああ、今は処分待ちで奥にいるよ」
早い話が軟禁状態だ。
「処分…」
その一言に少女の瞳が動揺に揺れるのを見て、孟徳はその揺れをもっと誘ってみたいという意地の悪い衝動に駆られた。
「公玉の処遇が気になる? 君の望みは、彼を生かすこと?」

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