対面(5)

「俺に仕えてくれるなら、公玉の処遇…考え直してもいいと言ったら、どうする?」
「丞相!」
「黙っていろ、文若」
噛みつかんばかりの声を孟徳は制した。
「待ってください…」
生かす――孟徳のその一言がどうしても不吉な像を脳裏に結んでしまう。
「公玉様はまだ成人されていない御年と伺っています。大人の都合で振り回された幼い方を殺――」
梅里はピタリと口をつぐんだ。
孟徳は梅里の望みはどうかと聞いただけで、自身は処遇内容には一言も触れていない。斬首は勝手な想像に過ぎなかった。
はたしてそうなのだろうか?
孟徳は、少女の瞳から急速に動揺が去っていくのを、黙って見ていた。
梅里も凪いだその瞳で孟徳を見つめ返す。
丞相、曹孟徳が全土統一を目指すなら、荊州は戦略上押さえて置かなければならない要地であり、その足元の安定は必要不可欠。
官軍ではあるが、外敵という見方をされる孟徳軍にとって、降伏したものに対する寛大な処置はそれなりに意味がある。
公玉が降って結果的に戦は回避され、景升が亡くなり戦の不安に怯えていた民の安堵は言うに及ばず。玄徳について行った民も、軍の敗走によって列は乱れ、散り散りになっている。きつい咎めがないとなれば、その一部はやがて元の土地へ戻るだろう。
民なくして領地など意味はない。
そして早晩、江東へ兵を進めるであろうことを考えれば、水上の戦に慣れた荊州水軍の将兵はなくてはならない存在になる。北方の兵はもともと騎馬主体。無論、水上戦の訓練は積んでいるだろうが、その練度はもとより実戦経験にいたっては雲泥の差がある。
降伏した旧主を処刑し、明日は我が身という風説を生み出せば士気に関わる。
現在の軍の状況、これから先を見据えた展望―――それらを考え合わせれば、今、公玉の血を流すことは得策ではないはず。
だが現実問題はそうであっても、孟徳がそれに即して動くかどうかが分からない。曹孟徳には虚か実かわからない噂が多く、こうして相対していながらもその人柄を見極めるのは難しい。
戦場でのあの酷薄さと今目の前にいる彼とのあまりに大きな落差。自分の扱い一つとっても変わっていると思う。
でも――。
「………公玉様の処遇は――おそらく州替え」
文若と元譲の顔色が変わった。
対して孟徳はさっきから興味深そうにこちらを見ているだけだ。
「どうしてそう思うの? 君がそう考える理由を答えてくれるかな」
「人心を落ち着かせる必要があること。荊州水軍将士の離反は避けなければならないこと。将来的な謀反の芽をつむこと」
孟徳の問いに、巡らせた考えを梅里は簡潔に答えた。
せっかく戦火を交えず手に入れた重要な土地に、無用な反発を招く必要はない。だからといってこのままこの地に置いて将来に禍根を残すことはできない。江夏には今は仲違いしたとはいえ兄がおり、万が一にでも結託されたりすれば厄介であるし、将来再び公玉を守り立てようとする者が出てこないとも限らない。
手堅く考えれば、荊州から遠く離れた地に移すべきだろう。
「……違いますか?」
「――ご明察」
孟徳は梅里に向かって楽しげに笑んだ。
「君の言うとおりだよ。公玉はさっき青州の牧に決まった。安心した?」
ずっと試されているような気がしていた梅里は、ほっと安堵の息をついた。
「ならどうしてあのような言い方を…?」
「そりゃあうまくいけば、君が俺に仕えるって言ってくれたかもしれないからね」
孟徳はまったく悪びれない。だがこうなることもあらかじめ見込んでいたのか、失望した様子もなかった。
「もしわたしがお仕えすることを約束して、公玉様のこの地での安住をお願いしていたらどうされたのですか?」
「んー、女の子のお願いはなるべく聞いてあげたいから、どうにかしたかもね」
「丞相ッ! 戯れはほどほどになさってください!!」
孟徳が言うと冗談には聞こえないとばかりに、文若が青筋を立てるが、孟徳はどこ吹く風だ。逆にこういう奴だからと梅里に笑ってみせた。
「これ以上はやめておこうか。文若が卒倒するとまずい。口うるさいが、倒れられると俺の仕事をする奴がいなくなって困るから。それに君も休ませてあげなきゃね」
孟徳は広間の入口に向かって声を張り上げた。
「誰か!」
「ここに!」
広間の戸口を守っていた衛兵がすぐに扉を開けた。
「彼女を部屋へ送り届けろ。―――丁重にだ」
少女を最初広間へ押し込んだ兵士だと気づいてか、孟徳が一言付け加えた。
「ゆっくり休んで」
「…はい。失礼します」
思わぬ心遣いを感じて、梅里は一礼してから兵のあとに続いて退室した。

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